#18 少しでも「ぼんやり」と過ごせれば~足元の激動に囚われすぎずに

自宅の本棚を眺めていたら、辰濃和男著『ぼんやりの時間』(岩波新書;2010年)が目にとまりました。

以前も興味深く読んだ記憶があり、再度手にとって、パラパラと斜め読みをしました。「天声人語」の執筆もされていた辰濃氏はエッセイストとしても著名ですが、ぼんやりと過ごす時間は大変貴重だということを、様々な書物や自身の経験などからまとめたエッセイで、大変よみやすいものです。

様々な書物からの引用は、哲学者の串田孫一のエッセイ、詩人の岸田衿子の『いそがなくてもいいんだよ』、作家の池波正太郎のエッセイ「私の一日」、ミヒャエル・エンデの『モモ』、梨木香歩『西の魔女が死んだ』、アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈り物』などを材料に、「ぼんやり」に係る想いやヒントなどが示されているものです。

本著作から、少しだけ引用したいと思います。

「この本の主題は、「ぼんやりすること、休むこと、懶惰(らんだ)であること、閑なこと、それらをたのしむことのすばらしさ」を考えるといった、けったいなものになるだろう。」(13頁)、

「飛躍する言い方になるのは承知だが、「ぼんやりしてみようよ」と主張することは、「近代」を問い詰めることになるとも考えている。」(14頁)、

「なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間」を過ごすことができるし、「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。・・・・・そして、独りでいることと、ぼんやりすることはかなり重なっている、と私は思う。」(163頁)


など、「ぼんやり」の肯定的なことに思いを巡らせることは、殊のほか意味があると思います。「ぼんやり」はどちらというと、気持ちが集中していないなど否定的にとられがちですが、「ぼんやり」には効能があると理解できます。

最近のSNSや、ネット社会、デジタル社会など、慌ただしく、めまぐるしく、また、けたたましい世の中になりすぎていることについて、たまにはこうした「ぼんやり」の効能に思いをはせることも大切ではないかと思い、今回ご紹介をさせていただきました。

読者の皆様からは、毎日の本当に忙しい公的・私的なスケジュールに追われている中で、「ぼんやり」など、夢のまた夢などと、大いに批判を受けそうな本エッセイ内容ですがが、こうした心持ちを少しでも意識されることができると良いと思ったところです。

冒頭に記載したように、「金融・資本市場リサーチ」通巻18号が発刊されます。

今回の特集テーマは、「トランプ政権とサステナビリティ」です。次号19号は、「企業文化」を特集テーマで予定しています。その次の20号は、「トランプ時代を経済・金融からわかりやすく解明する」(仮)です。

17号は、「アクティビストにどう向き合うか 日本企業」でした。こうした特集テーマを見ていくと、今後の金融・資本市場を考えるにあたって、テーマ性をもった大きな構造的な要素に係るものが目白押しで、金融・資本市場関係者が参考にすべき根本的な事象が山積みであるということが示されていると思います。

特にマクロ的なグローバルな構造的問題が重要で、それに関しては、歴史的な視点を持つことが不可欠であることが見てとれます。歴史から「学ぶ」ことも大切にすべきと思われます。

是非、皆さんから本エッセイ含めて、ご意見をお寄せください。

(2025年4月20日 記(5月の連休で少しでも「ぼんやり」できればと思いつつ) イノベーション・インテリジェンス研究所 幸田博人)