#17 「記憶」と「記録」から考える~NHKの短編ドキュメンタリーを見て

今回は、久しぶりにトランプ大統領の話題から離れます。

この前の日曜日(3/30)の午前中にNHKで放映されていた第97回アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞ノミネート作品の『Instruments of a Beating Heart』をたまたま見ました。

既に評判になっていた短編ドキュメンタリーだったようですが、実に面白いもので、30分程度の短い映像の中身は、東京都内の普通の小学校の1年生が楽器オーディションで奮闘する日々を描いたものでした。

その小学1年生は愛らしくもあり、いじらしくもあり、オーディションを通じての成長が目に見えるのが素晴らしい映像で、またコロナ禍でのドキュメンタリーでもあります。

筆者は、小学校1年生の成長の姿を見ていて、この「エッセイ」のテーマでもある「記憶」と「記録」について、改めて考えさせられたところです。筆者自身の数十年前の田舎の小学校1年生を思い出してみようとしましたがほとんど白紙で、「記憶」すら全くないです。

多分、毎日小学校に歩いて通っていたことだけは確かですが、こうした「楽器オーディション」などの刺激的なイベントがなかったということもあり、本当に何の「記憶」も思い起こせない状態です。

何かの「記録」があれば、手がかりになって思い出すことも出てくるのでしょうが、そうした手がかりもなく、もはや「記憶」は脳の奥にあるかもしれませんが、思い起こすことは難しいと思いました。

そもそも思い起こすことは、必要ないことかもしれません。

なぜこのような「記憶」と「記録」に思いをはせているのかというと、「金融・資本市場リサーチ」17号の「巻頭エッセイ」で、「「記憶」と「記録」から考える」という「エッセイ」を寄稿したからです。

そのエッセイで、筆者は

「「記憶」は個々人特有のものである。同じ経験をしても個々人で「記憶」は異なる。年齢とともに、忘却の彼方にある「記憶」が突如として思い出すことも間々ある。・・・「記憶」を「記憶」にとどめずに「記録」にしておくことは必要だと感じ、同時に「記録」が「記憶」とつながっていないことも相応にあり得ることだとも感じた次第である。」

と記述しました。

現在は昔と異なり、スマートフォンを常時持ち歩いているので、時々写真をとるだけでその日の「記憶」が「記録」化しておくことが可能な時代です。このスマホは、昔の「記憶」を十分に呼び起こすことが可能となる極めて重要なツールです。

皆さんもスマホの写真機能を日々の日常生活で活用して保存しておくことを、筆者としてはお勧めしておきたいところです。その意味でも、このNHKの短編ドキュメンタリーは必見です。

残りのスペースで、金融・資本市場関連の話題をしておきたいと思います。
冒頭のフジテレビの第三者委員会報告については、大変注目度が高かったと思います。この膨大な300頁にもおよぶボリューム、その内容の深刻さなど、企業関係者にとってのインパクトは大きいものと思います。

筆者も大学で「ビジネスエシックス」という講義を毎年行っており、その関係でもこのテーマの重要性と今回の深刻さには、感じるところがあります。こうした企業不祥事の落とし穴をどう見ておくか、また、なぜこうした企業不祥事があとを絶たないのでしょうか。

これを考えるための参考になり手軽に読みやすい新書を2冊、紹介しておきます。1冊は、稲葉陽二著『企業不祥事はなぜ起きるのか』(中公新書;2017年)、もう1冊は、中原翔著『組織不正はいつも正しい』(光文社新書;2024年)です。今回のフジテレビの第三者委員会報告から何を「学ぶ」か、色々と考えさせられるところです。

皆さんからも、本エッセイ含めて、ご意見をお寄せください。

(2025年4月5日 記(東京の桜はまだ満開です)イノベーション・インテリジェンス研究所 幸田博人)