本日の話題は「●●市民と二重価格」です。
京都市の松井孝治市長が、2月25日の京都市議会で、京都市バス運賃について「均一料金区間の市民運賃は現行の230円から200円に引き下げ、市民以外は350円~400円とする。2027年度中の開始を目指す」と表明しました。
市議会終了後に記者団に「観光と市民生活の両立のため、観光客の負担は高くなるがご理解いただく許容範囲だ」と述べました(日経電子版2月25日 13:00より)。
今後、国土交通省との間で運賃改定認可などのプロセスは必要とのことですが、乗客が市民かどうかについては、交通系ICカードにマイナンバーカードをひもつけて識別するとのことです。
公共の交通機関に大規模な二重価格を導入することははじめてだそうです。
こうした二重価格を導入する意図は、オーバーツーリズムからの問題意識がスタートと思われます。私自身、京都でバスを毎週数回、定期的に利用していて、例えば祇園から清水寺、京都駅ルートのバスは、大きな荷物をもった外国人がのってくることが多く、ぎゅうぎゅうで乗降りにも時間がかかり大変です。
私は市外からの人ですが、市内居住者にとってはとても耐えられないというのもよくわかります。もともと市バスは、京都市民の大事な足であるということは言うまでもないと思います。
しかし価格面で市外の方が2倍になれば、市バスは使わずにタクシーや徒歩などに誘導できるのでしょうか。そう簡単にはいかない気がします。
特に外国人の方は、2倍くらいの価格設定では市バスは使い続けるのではないでしょうか。
混雑緩和に大きく寄与しない可能性は相応にあると思われます。
そうすると、京都市バスのサステナビリティの観点から、持続的な経営のために市外の方に協力してもらうという経営問題と捉えた方が良いかもしれません。
京都市交通局の公表データによると、2024年度は市バスは1日あたり34万人(前年比2.0%増)の乗客数です。相応の乗客数ですが、市バスの営業係数は全83系統のうち24系統のみが黒字で、約3割の黒字系統が約7割の赤字系統を支える構造です。
全体の営業係数は103であり、100円の収入を得るために103円の費用がかかっているということで、全体としては赤字状態となります。最終的な損益では国などの財政支援を含めると市バス事業は10億円の黒字だそうですが、厳しい状況と思われます。
一日34万人もの方が乗車しているバス経営でも赤字状態ということは、いかにバスという公共交通機関が難しい事業かということを物語っていると思います。
足元の人件費や燃料費の高騰を踏まえると、今後も厳しい経営状況が続くでしょう。そうした観点からは、京都市バスの将来的な持続性という観点で、この二重価格は一定の意味があると思われます。
しかしながら、公共交通機関である京都市営バスがこうした二重価格を許容するということには、そもそも論としてのある種の不公平感を招くという批判も強くでるのではないかと思います。
特に京都のような観光都市において、こうした観光客にフェイバーでないことが行われることのイメージダウンもあると思います。
京都市民とそれ以外というカテゴリー分けはこれしか方法がないとは言え、「外国人と日本の京都市外の人」を一緒のくくりにするのは、やや乱暴ではないかとの意見もあるでしょうし、京都市民と京都に住んでいない日本の方は、同一料金であった方が良いのではとの意見もありそうです。
京都市民とそれ以外の方の壁が立てられてしまうイメージもあって、本件は難しいところが多々あります。
こうした公共交通機関との議論とは異なりますが、3月1日から、世界遺産の姫路城の入城料が18歳以上の市外の方には、従来の1000円から2500円へと値上げとのことです。
検討過程では、外国人に高額にする案などの検討もあったようですが、最終的には市民と市外で落ち着いたとのことで、目的は、世界遺産の維持管理が高騰していて現状の財政負担が大きく、姫路市の財政負担なども含めて市民負担の軽減を図るとのことです。
こうした文化施設について、市外の方は高額でという考え方は海外では増えてきていて、フランスのルーブル美術館では今年の1月14日から、EEA欧州経済領域(EU+アイスランド、ノルウェー、リヒテンシュタイン)の来館者は従来の22ユーロ(約4,000円)から32ユーロ(約6,000円)に改定されています。
この意図は、混雑防止に加え設備の老朽化対策、人件費高騰などにあてたいとのことです。
オーバーツーリズムにあるこうした文化施設が価格設定はどうあるべきかは難しい議論と思われますが、あまりに極端な二重価格制はいかがなものかという気がします。また、結果的にある種の自国主義的な要素が入っていることも気になるところです。
ストレートにこうした二重価格やオーバーツーリズムを取り扱った書籍ではありませんが、伊藤将人『移動と階級』(講談社現代新書 2025年5月)は、「移動」という視点を軸において社会的に移動の価値を考え、またその中から生じている格差について整理したものでとても面白いものです。
この新書は、「移動とは何か?」(第1章)、「知られざる「移動格差」の実態」(第2章)、「移動をめぐる「7つの論点」」(第3章)、「格差解消に向けた「5つの観点と方策」」(第4章)から成り立っています。
人の移動の本質的な意味を考察する上でわかりやすく論点を整理したものです。
本書のテーマには、「移動格差」という論点があります。
移動格差を「人々の移動をめぐる機会や結果の格差と不平等、それが原因で生じるさまざまな社会的排除と階層化」(本書31頁)と定義しています。
「移動」が必ずしも当たり前のことではない中で、例えば、「約3人に1人が、過去1年以内に居住都道府県以外に旅行をしていない」というデータ(本書66頁)も紹介されています。
当たり前のように見える「移動」がとても大事な概念であること、「移動」には、通勤、通学、買い物、旅行、引っ越し、移民など様々なタイプがあります。
そうして見ていきますと「移動」は当たり前のことではなく、生活環境、経済状況、家族関係などの制約を受けていますので、個人の「移動」の意思のみで「移動」を自由に行うことは難しいことが多々あります。
そういう観点では、「移動」の公共交通機関のコストはリーズナブルであるべきですし、オーバーツーリズムなどの弊害を考えた場合でも、内外の壁は低くして極力「公平」であることは外せない視点であると思います。
皆さんから本エッセイ含めて、ご意見をお寄せください。
(2026年3月1日 記(中東紛争一気に緊迫化の日)イノベーション・インテリジェンス研究所 代表 幸田博人)
