#34 「散歩」と「散策」

前回は「「好奇心」と「猜疑心」」についてのエッセイでした。このエッセイ、反響がありました。

公認会計士の方からは「監査基準」(企業会計審議会で定められたもの)の中の「第二 一般基準の3」で「監査人は職業的専門家としての正当な注意を払い、懐疑心を保持して監査を行わなければならない」とあります。
この「懐疑心」は、職業的専門家としての「懐疑心」なので、財務諸表を監査するにあたりどういう「懐疑心」をもって監査にあたるかなどは、様々な研究が行われているようです。

こうした監査の専門家としての「懐疑心」は、財務諸表から浮かび上がる矛盾や何らかの不思議な数字の動きなどを見逃さないことや無視しないことが大事だと思われます。当然そうしたことはトレーニングで一定の蓄積がなされるでしょうし、完璧主義的な観点から不安を取り除くアクションとして「懐疑心」を活用することも意味あることでしょう。

いずれにしても職業的専門家の「懐疑心」は、健全な「懐疑心」です。

私が「猜疑心」を素養として必要なこともあると書いたことの背景には、人間に対する信頼やクレディビリティ、さらにはリスペクトを持つべき理想から考えると、やや世俗的なことにまみれた面もあったかもしれません。

「学び」は「好奇心」からくることが多く、その関心の広がりは生成AIやインターネット検索がサポートしてくれます。情報の洪水におぼれずに、また情報に踊らされないようにするために「猜疑心」というものの価値を意識した面もありますが、「健全な懐疑心」あるいは「批判的思考」を意識的に持つことは人生を豊かにしていくものと思われます。

個々人が接点をもつ検索ルートや情報源をしっかりと有し、常に総合的な視点でバランスよく物事をウォッチすることがポイントだと思います。

今年も1年間、あっという間でした。私自身はストレスは総じて少なく過ごしていた気がしますが、そうはいってもやや憮然としたことや、思うにならずにいらだったこともありました。

歳とともに思うにならずとも受け入れるすべは次第に得意になっている気もしています。しかしながらなかなかそうもいかないところがあります。

哲学者の野矢茂樹氏のエッセイ集『哲学な日々 考えさせない時代に抗して』(講談社;2015年)があります。すいすいと読めるエッセイ集です。理系・文系の話、論理の話、時間の流れの話など少し立ち止まって意識すると人生が少しだけ豊かになる話が散りばめられています。その中に、「散歩の定義」(54-55頁)があります。

「「散策」と「散歩」は違うのだろうか。うーむ、微妙である。・・・それに「犬の散歩」とは言うけれども「犬の散策」とは言わないじゃないですか。やっぱり、散歩と散策は違う。散歩は、散策よりもずっと歩くこと自体を楽しむものなのだ。」とあります。

私のイメージは「散策」の方が目的意識もありやや高尚な印象で、「散歩」の方が自由で気ままな感じです。ただ「散歩」の方が、最近は健康意識とリンクして使われている印象もあります。この年末年始、少し時間あれば心をからっぽにして、「散歩」「散策」を楽しむ時間があっても良いと思います。

井伏鱒二『井伏鱒二ベスト・エッセイ』(ちくま文庫:2025年10月)と出会いましたので、少し紹介します。皆さんご承知の通り、井伏鱒二は1898年生まれで、1993年に亡くなった著名な小説家で、「山椒魚」「本日休診」「黒い雨」「ジョン万次郎漂流記」「漂民宇三郎」などが代表作です。

本書の解説によると、亡くなるまで95年におよぶ生涯のほぼ最後まで書き続けた作家だそうです。
本エッセイ集は37編、年代順に並べられていて最初の「終電車」が1930年、最後の「下曽我のご隠居」が1983年です。飄々と生きてきた井伏鱒二の人生が浮かび上がるエッセイ集です。

私は「子供のときのこと」、「晴耕せず雨読せず」、「「が」「そして」「しかし」」などが読んでいて印象深かったです。その編集と解説をフランス文学者である野崎歓氏が行っています。

「井伏鱒二は、九十五年におよび生涯のほぼ最後まで書き続けた作家である。・・・小説の代表作を集めたら、たちまち文庫本何冊分にもなってしまう。しかしさいわいエッセイは短めのものが多い。しかも。作家の融通無碍な書きぶりを伝えて魅力的な作品には事欠かない。」とあります。

我々は融通無碍に生きたいと思いつつも、そうしたことには無縁で日々の生活に追われ、ユーモアを失うことが多いと思います。
今年はトランプ大統領の大統領令に右往左往し、日銀の金融政策の動向や物価高の状況など経済の動き、さらには史上最高値の東証の株高の状況や為替の円安の動向などのマーケットの日々の情報に目をこらしていることも多かったでしょう。

社会、経済など様々な動きが次から次へと出てきて、それに目を見据えていることばかりとも言えます。その動きは速く、SNSなどの情報も膨大に流れてきます。
またたった今の現在の話は急速に古びていくのも特徴でしょう。

そうした中でどこに個々人の価値観や軸をおいていくか、難しい時代です。羅針盤が必要ですが、もう少し落ち着くまでは簡単には見つからないでしょう。

さて、2026年はどういう年になるか目をこらしていきたいと思います。表に出てくる様々な情報をどう読み解いていくか、複雑な世の中を楽しみながら考えていきたいと思っています。

社会や経済の構造的な変化を見逃さないように、複雑で不測なことがおきやすい世の中、皆さんそれぞれで体とこころの健康をうまく保ちつつ、日々の生活に取り組めると良いかと思います。

ぜひ皆様方もご自愛ください。2025年お世話になり、ありがとうございました。
皆さんから本エッセイ含めてご意見をお寄せください。

(2025年12月21日 記(お世話になりました。良いお年をお過ごしください。)
イノベーション・インテリジェンス研究所 幸田博人)