#28 自分自身で調べること~スキルの涵養につなげる~

9月に入り、局地的な自然災害が多発しています。

9月5日の静岡県牧之原市での竜巻被害、9月11日の東京の都心や神奈川県での記録的な大雨・浸水被害、9月12日の三重県四日市市の地下駐車場の浸水被害、9月18日のつくば市の突風被害など局所的で突然の気候変動での自然災害が多発しています。

大変心配です。気象の変化に過敏にならざるを得ない状況が増えていて、気象予報を見ることが大変増えています。この自然災害をどういう視点で見ていくか、今後本エッセイで考えてみたいところです。

日経新聞の夕刊1面のコラム『あすへの話題』(2025年9月12日)「出典を探し求める」(植木朝子 同志社大学教授・前学長)に眼をとめました。京都祇園の鍵善の名物くずきりをめぐる話題です。

水上勉のくずきり美味のエッセイが店舗で紹介されていて、その出典があるのかどうかが気になったようで、1969年夏号の『きもの専科』に辿りつき、国会図書館にも見当たらず古本屋サイトから入手したというエピソードをエッセイにしていました。

当人は学者なので出典元を見つけてようやく安心したとのことですが、SNS全盛期、出典元などどこ吹く風という時代に、普通はここまでのことをされる方はいないでしょう。

でも植木先生は出典元にたどることで55年前の雑誌を手にとり、その頃のことに想いをはせることができ、大変幸せな瞬間が楽しめたのではと思った次第です。
私自身、たまにこの京都の鍵善にいき美味しいくずきりを賞味することがあります。

もちろん出典元にあたってみようなんて思いもよらなかったことで、探求心をどう持つかは大変重要なテーマと改めて思った次第です。

自分自身で調べることは大事だということは皆さんも同意すると思います。でも、インターネット検索や生成AIに聞くことを多用している人が大多数でしょう。
私もそうですし、生成AIが添付している出典元を見にいくことはほとんどないと思います。

皆さんも出典元は基本的にはスルーしていると思います。しかしながら、出典元を調べてみたり原本を探してみたりすると、色々と思わぬ発見があると思います。
私も特に関心が深い分野は出典元を見にいくケースが多々あります。特に金融危機のエピソードを知りたいときなどは原典を見にいきます。

皆さんも探求したい分野を持つこと、そしてその分野の出典元に関心を持つことなど、たまには心掛けても良いかと思います。そうしたことをたまに行うことが、個々人の「スキルの涵養」につながるのではと思います。

涵養とは、インターネットで調べると、「水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくり養い育てること」(コトバンク)とあります。ややインターネット検索や生成AIに追い立てられている社会、個々人が少し出典元に関心もつことで「スキルの涵養」につげてみてはいかがでしょうか。

8月は「記憶の継承」が様々なところで語られ、特に「戦後80年」ということで体験者の記憶をどう継承するかが大きなテーマとなり、様々なイベントやシンポジウムも開催されました。

私自身、年齢を重ねるとともに過去の記憶を辿ることが増えている気がします。「戦後80年」のテーマで「記憶の継承」が難しくなりつつある中で、苛烈な経験などを残しておく社会的な意義は大きく、そうしたことを社会全体として取り組む意義は高いことは言うまでもありません。
しかしながら、そうした「記憶の継承」は記録化をしていくことは言葉で言うほど簡単ではなく、ハードルは高いと思います。

なぜ「記憶」の「記録化」が難しいのか。「記憶」自体の特徴からくる点があります。個人の「記憶」は、かなりの部分は忘却してしまいますが、印象深い記憶やエピソード的な記憶が比較的残っているということになります。それでもその「記憶」は、経験したこととどの程度正確なのかなどの問題もあります。

しかしながら、それぞれの個人の方の経験は貴重で、何らかの形で残していくことはそれぞれの方の生き方に関わることですが、もう少し意識されて残されても良いのではと思います。
日々の生活に精一杯の中でも、「記録化」に取り組む個人が増えてくると良いかと思います。それは、個人、個人がどう考えるかという面も大きいので、簡単には「記録化」には直結しませんが、引き続き考えていければと思います。
この8月の「記憶の継承」の話から思いを馳せていたところです。

そうした中で「記憶」がそもそもの出発点になります。『老いと記憶』(増本康平;2018年12月、中公新書)は加齢による記憶の衰えについてわかりやすく解説した新書です。
「物忘れが多くなりました」とか「人の名前が出なくなりました」とか「外出時のスマホ持ってくるのを忘れました」とか「めがねをどこに置いたかな」など、加齢で記憶機能が衰えていることはよく語れますが、本書ではそうしたことについて、そもそも記憶には加齢の影響を受けやすいものと維持されるものがあることを解説しています。

その中で著者は、「私たちは複数の情報の特徴をまとめたり、抽象化したりすることが容易にできます。しかし、このような抽象化やカテゴリー化は私たちの記憶があいまいだから可能なのです。」(159頁)と述べていて、記憶はあいまいであることが前提で、そこに個々人の特性が形作られることを言っています。

また研究実験で「これまでに経験した人生の重要な出来事」を1年ごとに書き出してもらうと、1年経過しただけで63%が入れ替わったとの研究結果を示しています(同書162頁)。こうしたことを見ると、「記録化」の困難性は大変高いことも見てとれます。

この『老いと記憶』は、加齢と記憶の関係を科学的かつ心理学の観点からの視点で解説していて有用です。ご関心のある方は手にとってみてください。
皆さんから、本エッセイ含めてご意見をお寄せください。
 

(2025年9月20日 記(世界陸上、大相撲、プロ野球などイベント多すぎて・・・)イノベーション・インテリジェンス研究所 幸田博人)