今こそ問われる「経営力」 (元みずほフィナンシャルグループ副社長 髙橋秀行氏)

2025年がスタートしました。
今年は日本の金融ビジネス、特に大手金融機関にとって、その存立意義が厳しく問われる歴史的な転換点になるように思います。昨年、大手金融機関では耳を疑うような不祥事が相次ぎ、経営トップの謝罪会見が開かれました。過去の歴史を振り返れば、失われた信頼を取り戻すことは難しく、今回の対応を誤ると大手金融機関でもその存立が危うくなるのではないかと思います。

今回の不祥事の背景には、パーパス経営の死角があるように思います。不祥事を起こした大手金融機関はパーパスやミッション・ビジョンを掲げて「目指す姿」を経営戦略として明確に定義している企業です。
では、何故、そのような企業が不祥事を起こすのか。それは、「目指す姿」と社員・行員の日々の生活にギャップがあるからだと思います。
経営トップは支店を訪問しタウンホールミーティングで社員に「目指す姿」を熱っぽく語りますが、多くの支店では、翌朝の朝会で支店長から「目指す姿」とは関係なく、「今月の収益目標は必達」との指示だけがあるとの話をよく聞きます。これでは社員・行員は経営トップが示す「目指す姿」に共感することはできません。

このような状況から脱却するには、経営トップは「目指す姿」を語るだけではなく、「目指す姿」を実現する経営の枠組みや組織運営そのものを変革することにハンズオンで取り組むしかありません。
「目指す姿」を実現するためのストーリーを経営トップが「一貫性」と「説得力」をもって語り、それを経営トップが率先して実践することが重要です。

先ずは、自らの存在意義を社員が“腹落ち”する文章で定義する。次に、それを実現するための具体的な行動規範・基準を示す。また、金融機関である以上、「目指す姿」を達成するために“取るべきリスク”と“取るべきでないリスク”を明確に定義し、『取るべきリスクを正しくテイク』する枠組みを整備する。
しかし、これだけでは「目指す姿」を社員の行動に繋がるようにカスケードダウンしただけに過ぎず、更に踏み込んで「目指す姿」に対して現在の人材を含む経営資源配分が適切か、人事評価などのプラットフォームが「目指す姿」と整合的かをレビューすることが重要。ギャップがあれば、それを埋めるアクションプログラムを示す。

コロナ禍を経て資本主義や個人の価値観が大きく変容するような時代の潮流の転換点においては、企業の生き残りは、経営トップが経営トップにしか見えない時代の変化を感じ、経営トップにしかできないことに時間を割くことができるか否か、言葉を変えて言えば、経営トップの“経営力”そのものが問われているのだと思います。
コーポレート・ガバナンス改革の本丸は、CEOのサクセションと言われていますが、日本の金融ビジネスにとって、今年は経営トップの“経営力”のガチンコ勝負の年になるのではないかと思います。

(2025年1月9日 記 元みずほフィナンシャルグループ副社長 髙橋秀行)