#40:東日本大震災15年と15年が持つ意味

本日の話題は、「東日本大震災15年と15年が持つ意味」です。

3月11日に東日本大震災から15年となりました。この15年、この悲惨な災害がもたらした甚大な被害はいまだ癒すことのできないことも多く、そこからの回復や復興に向けた取り組みは容易ではありません。

15年という期間をむかえて、マスコミでの様々な振り返りなどの特集をみるにつけ、この災害の大きさにいまだに立ち尽くすしかないところもあり、無力感なども大きいものがあります。

震災によってお亡くなりになられた方々にあらためて哀悼の意を表し、ご遺族の皆様にお悔やみを申しあげます。また被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

東日本大震災から15年を経過する意味を考えてみたいと思います。
あらためてこの15年という期間が経過したことで、こうした悲惨な経験が徐々に風化にさらされ、継承が少しずつ難しくなってきたという感覚を持っている方、増えていると思われます。

だからこそ「風化させずに継承」ということが、多く言われていると思います。
高市総理の震災15年にあたってのメッセージに「震災の大きな犠牲の上に得られた教訓を風化させることなく」とあります。

この15年という期間を過去の大きな事象と比較してみたいと思います。
関東大震災は1923年9月でした。そこから15年は1938年になります。
1938年は、前年におきた日中戦争が近衛文麿政権の下で長期化してきたこと、ミュンヘン会談でチェコスロバキアのズデーテン地方のドイツへの割譲という融和政策が翌年の第二次世界大戦の引き金となったこと、また1940年に予定していた東京オリンピック開催権を返上したことなど、1938年はまさに第二次世界大戦前夜の様相でした。

関東大震災から15年という節目の年は、関東大震災からの復興が一定程度進んでいたこともあいまって、すでに関東大震災の記憶と継承にかかる風化は相当進んでいたと思われます。

寺田寅彦著『天災と国防』(岩波新書、1938年)の中の「津波と人間」というエッセイでは、主に昭和8年(1933年)の「三陸大津波」をテーマにしたエッセイです。そこには

・「昭和8年3月3日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津波が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、さうして多数の人命と多額の財物を奪ひ去った。
明治29年6月15日の同地方に起った所謂「三陸大津波」と略同様な自然現象が、約満37年後の今日再び繰返されたのである」(同書33頁、旧字は適宜新字に)

・「学者の方では「それはもう10年も20年も前に疾に警告を興へてあるのに、それに注意しないからいけない」といふ。すると又、罹災民は「20年も前のことなどこのせち辛い世の中でとても覚えては居られない」といふ。」(同書34頁)

・「二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正12年の地震で焼拂はれたのである。かくいふ災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津波の周期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害は最早災害ではなく五風十雨の亜類となってしまうであらう。併しそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記憶を忘れないように努力するより外はないであろう。」(同書38頁)

とあります。

この寺田寅彦のエッセイから読み取れるのは、人々の記憶の風化の速さ、日々の生活への過去の経験の埋没、継承の難しさなどです。
寺田寅彦のエッセイには今でも役立つ警鐘が随所に盛り込まれています。

15年という期間はどういう期間になるでしょうか。

15年の重みや位置づけは個々人それぞれでしょう。
誕生して15年であれば、幼稚園、小学校、中学校を経て、高校への入学へのタイミングとなります。

災害の経験を自身が産まれる前であった人が大人になっていく期間の15年で、そうした災害の経験を聞き語りや歴史でしか知りえない期間となります。

また大人にとっての15年も、自身が直接的な経験だったのか間接的な経験なのかで大きく異なり、またそれぞれのライフサイクルに応じて人それぞれの記憶は大きく異なり、そこから感じ取ったことも異なっています。

この節目の15年という期間について、どう思いをめぐらしていくかは難しいところです。
東日本大震災については、まさに15年という期間が経過したなかでその重みをどう捉えていくかにかかっていると思います。

過去の出来事としてのみ位置付けるのではなく、現在の視点で継続的に考え続け、必要な取り組みをしていくことが大事だと思います。

関東大震災から15年、終戦から15年、東日本大震災から15年という3つの期間について比較して考えてみたいと思います。もちろん、当時の社会情勢や事象自体の違いなどそれぞれを取り巻く状況に大きな違いがありますので、一概に比較することが適当なのかという問題はあります。

しかしながら、そうした15年という期間を比較することで見えてくることもあるかと思います。
起きた事象それぞれの記憶の持ち方や残し方が、当然ではありますが異なっていることに気づきます。

関東大震災は記憶の風化は早く、継承も不十分だったと思います。その後の社会情勢の大きな変化(世界の分断、ブロック化、戦争に向かっていったことなど)に記憶が飲み込まれていったと思われます。関東大震災の教訓はたくさんあったわけですが、日本の置かれた状況が深刻化して、日本社会は関東大震災からどう「学ぶ」かについて考慮するとのプライオリティはなかったと言えます。

終戦については、15年後は1960年で、池田勇人政権の「所得倍増計画」のもと、戦後の高度成長に向けての取り組みが一気に加速した時代ではあり、戦後15年が新しい息吹をもたらしはじめ、前向きに動き出した起点になっていたと思います。

同時に、戦後という位置づけは当然という面もありますが、今にいたってもその記憶は風化せずにそれが様々な形で脈々と語られ続けていきますので、戦後の枠組みでの大きな風化はあまり生じておらず、戦後80年のような文脈も含めて多様な視点で語られ続け、論じられています。
そういう意味では日本全体での戦後の共有は引き続きなされていると思います。

東日本大震災については、日本社会のあり方そのものとかかわっていること(災害大国日本という意識)や今後の社会課題(地域の課題など)ともリンクしていることで、この15年の経験の重要性があることに加えて、関係者による今も風化はさせずに継承を行うことへの地道な努力が続いていることで、風化はさせないという意思が強く感じられるところです。

また、震災遺産がさまざまな形で残されており、代表的なものとして、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館、石巻市立大川小学校、震災遺構仙台市立荒浜小学校、陸前高田市の奇跡の一本松などです。

3月15日のNHK番組「明日をまもるナビ 震災伝承 今求められる“つなぐ力”」では、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、開館(2019年3月)直後は年間8万人が訪れていたものが、昨年度は年間4万人に減少していること紹介されていました。

及川館長は「防災意識は10年たつとだんだんと薄れ始め、15年たつとすでに風化は始まっている。」とのコメントがありました。
今後、風化にどう対処していくかが、日本社会としての知恵も問われていると思われます。今後の日本社会の成熟性を示していけるかという課題ともかかわっていると思います。

皆さんから、本エッセイ含めて、ご意見をお寄せください。

(2026年3月15日 記(桜開花を待ちつつ)イノベーション・インテリジェンス研究所 代表 幸田博人)