この8月15日、戦後80年を迎えました。今回のエッセイ、「戦後80年を思いつつ~「記憶と記録」、「エバンジェリスト」~」としました。
戦争の悲惨な経験は、戦後80年も経過することで直接戦争を経験された方々が少なくなり、個人体験に基づく語りとその継承が相当困難になりつつあります。
その個々人の語りをどう引き継ぐか、引き継ぐこと自体難しくなり、「記憶の風化」が大変懸念されています。
これは80年という長い時間の経過がもたらす必然的な風化をやむを得ないと理解することにならざるを得ない面はありますが、同時にあまりに悲惨な経験を未来に活かせないこととなるのではないかとの心配が大いにあるということかと思います。
実体験は生々しさを伴いますのでそのインパクトは大きいということでしょうが、そうした実体験をベースとした今までのような継承が、戦後80年経過する中では難しい時代に入ったということかと思います。
「記憶の風化」をどう継承していけるかについては、どう考えるべきなのでしょうか。まずは記録(文書や映像など)で補うことが求められ、そうした記録は個人史も含めて一定程度はあると思いますが、現状それが十分ではないということが浮かび上がるところです。
記録としての個人史が十分にあるかどうかということもありますし、いずれ散逸することもあるでしょう。できる限り記録で補うことを行い、そうした記録を次世代が活用していくことも必要です。
そのためには、継承すべき記録の活かし方は、それらが社会や家庭の教育でどう活かされるか、さらには音楽、文学、演劇など多様な文化に埋め込む形でどう継承できるかということです。
多様な文化での継承が不可欠で、多様な文化につながることで、継承すべきことについての個々人の関心を失わないようにしていくことも大事です。
今月号(9月号)の月刊誌『中央公論』の特集テーマで、「自分史を書く、先祖をたどる」が掲載されています。その中で、齋藤孝氏「人生を肯定し、次代に引き継ぐために」、朴沙羅氏「どんな普通の人生も歴史に残す意義がある」などの寄稿が組まれています。
一般論として、これだけ記録が残しやすい時代になっている中で、「記憶の風化」を避けるためにも、個々人が「自分史」にチャレンジすることの意義を感じるところです。
また昨今の世界各地での紛争の激化が、そうした悲惨な記憶の継承の意味をより重要としていると思います。にもかかわらず、多様な文化との継承とどうつなげていくかの道すじはまだ十分には見えないこともあり、そうした「記憶の風化」の懸念が拡大していることから、個々人の「自分史」の重要性も増しているとも言えます。
最近金融機関で、サステナビリティ関連で「エバンジェリスト」という役割をもうけたところがありました。近時、企業において「エバンジェリスト(evangelist)」という役割を担う専門家を組織として明示し活動をしていくことが行われています。
「エバンジェリスト」は、もともとはキリスト教の伝道師ということですが、最近では特にIT関連や最新のテクノロジーで装備した製品・プロダクトの価値を伝える役割として、「エバンジェリスト」という使い方がされています。
講演会やシンポジウムなどの機会を通じて積極的に啓蒙活動を行い、中立的な立場での啓蒙家としての位置づけです。本来の含意としては、どちらかと言うと、将来に向けた「あるべき姿」を念頭におき、体系的かつ具体的に論じる役割を果たしていこうという位置づけも入っていると思われます。
日本では伝道師というと宗教色が強すぎることもあり、「エバンジェリスト」が使われるようです。こうした活動の意義は中立性や専門性が確保できるかということかと思います。
こうした「エバンジェリスト」の概念と戦後80年の継承の話は、もちろん同一視はできません。しかしながら、社会の中で明示的に個々人の語り継ぎも含めた経験をテーマ毎に次世代にどう引き継ぐかは、戦後80年の継承に限らず、言うまでもなく大切なことです。
こうした「エバンジェリスト」的な専門家は、単なるプロダクトの伝道師ではなく、過去の歴史の継承を踏まえた何らかの価値観と未来の「あるべき姿」をつなぐ役割を果たしているとも言えます。
そうした観点で、継承すべき個人的な記憶も含めた記録からどういう読み解きを行い将来に向けた普遍的な見方に導くのか、また記録を過去の歴史の一つにするのではなく、現代とのブリッジをどうつけていくか、さらには未来の社会のあり方とつなげていくことが重要でしょう。
こうした話はやや牽強付会的で、荒唐無稽的な議論だと思われる方もいるかと思いますが、過去(歴史)と現在と未来をどうつなぐかについてテーマ毎に行っていくことが大事だとすると、社会、経済などの重要なテーマに関し、そうした過去から継承すべき記憶と記録はどう残すか、その内容も活かして現在の立ち位置を見極め、そして未来のあるべき姿について想いをはせていくことの大切さがあると思います。
皆さんから、本エッセイ含めて、ご意見をお寄せください。
(2025年8月15日 記(終戦の日を迎えて 記憶の継承を)
イノベーション・インテリジェンス研究所 幸田博人)