年末恒例の「M-1グランプリ」、今回も大いに楽しみましたが、予選どまりの組と決勝組とでは明らかにレベルが違うと感じます。この差は何なのか、とよく考えますが、おそらくそれは「現実に対する相対的な見方」のようなものにある気がします。
ただ突飛なことを叫んだり相方を揶揄するだけでは心から笑えない、しかし例えば深刻な事象を斜めから描写したり、人間の弱さや「あるある」をデフォルメすることで、心から笑えるものになるのでしょう。
今回個人的にツボにはまったドンデコルテの「デジタルデトックス」などまさにそうでしたし、定番の吉本新喜劇も、「いかにもありそうな話」「いかにもいそうな人」をデフォルメしています。
かつて仕事で行き詰った時など、お笑いを見ることで気持ちが救われる感覚をよく感じていました。
一方話は変わりますが、最近読んだ中に、偶然ですが「知性」という共通ワードを持つ本が二冊ありました。
ひとつは、リチャード・ホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」、1964年著の古い本で読むのに難儀しましたが、米国の反知性主義が、建国の経緯を背景に、米国民の根本的な感情・精神に根差すものであること、またレットパージやプロテスタントの大衆化運動など、歴史的にも様々な現象をもたらしていることなどを今さらながら知りました。
現在のトランプ政権の様々な動きも、こうした古くからある国民感情の一部に根差している面もあるのでしょう。
ホーフスタッターは控えめな言い方ながら、反知性主義の背景と伝統は認めつつも「多様な知的生活を許容し、率直さと寛容な精神をもつ」ことが不可欠だ、と言いたいように見えます。
もうひとつは先崎彰容氏の「知性の復権」です。格差拡大、SNS、多党化などの現象、さらには現下の国際情勢などを政治思想史の観点から診断分析しています。
論点は多いのですが、「右と左」「自由主義と強権国家」といった既存の基軸概念を相対化し、明治維新や戦間期などの歴史分析を参照しながら、時代の転換点である現在に必要な複数の思考軸を示そうとしているようにみえます。
知性とは知識の量やましてや論破力などで示すものではない、事象を相対化し複数の軸で考察すること、それが健全で寛容な社会をつくる鍵なのだろうと思います。
そして笑いはそのためにも不可欠な要素で、筆者が長年暮らした英国でも「Sense of Humorを持っている」ことが望ましい人物像として挙げられていたことも思い出します。2026年がよい年になりますように。
(2026年1月1日 記 アイザワ証券グループ取締役会議長/元みずほフィナンシャルグループ執行役常務 芝田康弘)
